制御盤を開けると、リレーがカチカチ言ってます。
あの「カチカチ」、いつから人類は使ってるか知ってますか?
答え:少なくとも150年前からです。
明治時代の電信局に並んでた継電器(リレー)。
あれがリレーシーケンスを経て、現代のPLCまで一直線で繋がっています。
PLCの内部論理であるラダー図は、リレーシーケンスの記号化そのものです。
つまりPLCは「リレーシーケンスをコンピュータに置き換えただけ」で、原型は150年前から変わっていない。
今日はその150年の系譜を、休憩中に読めるくらいの距離感でお届けします☕
明治のリレー、ヤバすぎ問題
1854年(嘉永7年)。
ペリー艦隊が横浜の駒形〜中山吉左衛門宅間でエンボッシング・モールス電信機を公開実演しました。
これが日本初の電信技術のお披露目です⚡
で、当時のリレーのスペックが、現代の感覚で見るとクレイジーなんです。
まず回路方式。
単線大地帰路方式といって、電線を1本だけ張って、帰りの電流は大地(地面)に流す方式です。
線材半分でいいじゃんという発想。
合理的っちゃ合理的ですけど、大地の抵抗が支配的になるので信号電流はたった30〜60mAしかありません。
今の制御回路で言えば、センサの信号レベルくらいの微弱な電流です。
その微弱な電流で何をするかというと、重い鉄片を電磁石で吸い付かせるんです。
「巻数 × 電流」で起磁力、つまり磁力の強さが決まるので、電流が少ないなら巻数で稼ぐしかない。
結果どうなるかというと、直径約0.25mmの極細銅線を、死ぬほど巻きます。
死ぬほど巻いた結果、直流抵抗は120〜150Ω。 筐体の重量は2〜5kg。
ちょwwwリレー1個で2〜5kgて何www
今のリレーが数十グラムだと思うと、もはや別の生き物です😂
しかも巻線の絶縁材料に何を使ってたかというと、絹(シルク)です。
直径0.25mmの極細銅線に、絹糸を巻いて絶縁してる。
日本っぽいというか、もはや工芸品の域。
まとめると、明治のメインライン継電器のスペックはこうです👇
信号電流:30〜60mA
銅線:No.30(直径約0.25mm)
直流抵抗:120〜150Ω
筐体重量:2〜5kg
絶縁:絹巻
方式:単線大地帰路
これ全部やんの???
はい、全部やってました。150年前の通信士が。
通信士は職人すぎた:明治版「現場の保全屋」
メインライン継電器のヤバさは分かりました。
でも本当にヤバいのは、これを維持管理してた通信士の方です。
まず、雨が降ると大地の抵抗が変わります。
大地帰路方式なので、地面の状態がそのまま信号電流に影響する。
雨の日は電流がドリフト、つまり変動するんです。
通信士は何をしたかというと、リレー内部の螺旋バネの張力を、フックの法則ベースで手動リアルタイム調整していました。
リアルタイムでですよ。しかも手動。バネで。
ちょっと何言ってるか分からないですけど、事実です。
さらに、温度変化の問題もあります。
筐体は真鍮と鉄でできているので、温度が変わると熱膨張で磁気ギャップ(電磁石と電機子の隙間)が狂う。
これも手動で再較正です。
極めつけは接点です。
リレーの先にはサウンダー(通信音を出す装置)がつながっていて、これは誘導負荷です。
コイルを切った瞬間に高電圧が発生して、接点でアーク放電が起き、 白金や真鍮の接点がどんどん焼けていきます🔥
通信の合間に何をするかというと、ヤスリで接点を磨いて新生面を出します。
通信 → 磨く → 通信 → 磨く → 通信 → 磨く。 無限ループです。
ちなみにローカルループ(手元の回路)は、1.5V電源・内部抵抗4〜20Ωの回路で約200mAの大電流を流してサウンダーを叩く構成です。
メインラインの30〜60mAという微弱信号を受信して、ローカルの200mAの大電力回路を開閉する。
つまり継電器は微弱信号の受信と大電力回路の開閉を分離するエレクトロメカニカル・アンプ(電気機械式増幅器)だったんです。
この信号系と動力系の分離って、ワイらが今の制御盤でやってることと構造的にまったく同じですよね。
ここまで読んで気づいた方いらっしゃるかと思いますが、通信士の仕事内容は、
① 通信オペレータ(モールス信号の送受信)
② 電気保全員(バネ調整・磁気ギャップ再較正)
③ 金属加工屋(接点研磨)
の3刀流です。
これワイらの先輩じゃないですか?
通信しながらバネ調整して接点磨いてたって、もう完全に「現場の保全屋」のムーブですよ。
150年前からやってることの本質が変わってない😇
日本の国産化:冶金・伸線・絶縁の三重苦
1855年(安政2年)、勝海舟らがオランダから献上された電信機を稼働させようとして失敗しています。
部品の損失・損傷が原因でした。
当時の欧米製電磁気機器は完全にブラックボックスです。
部品が1つでも欠落すれば機能不全。
「動かないけど中身分からん」状態。
メーカーサポートに電話もできない時代です📞❌
じゃあ国産化だ、となるわけですが、ここで日本は3つの壁にぶつかります。
壁①:軟鉄芯
電磁石の芯に使う軟鉄は、純度が低いと残留磁気が発生します。
電流を切ってもリレーが戻らない。
接点が膠着(こうちゃく)する。
当時の日本の伝統的製鉄技術(たたら製鉄等)では、高純度の軟鉄を均質に精錬する技術がありませんでした。
リレーが「離してくれない」って、保全屋的にはゾッとしますよね😨
壁②:極細銅線の伸線
No.30(直径0.25mm)の極細銅線で、直流抵抗120〜150Ωを均一に保つ伸線技術がなかった。
線径にムラがあると、局所的に抵抗が増大したり、最悪断線します。
0.25mmですよ。
髪の毛の太さに近い銅線を、ムラなく何百メートルも引き伸ばせって言ってるんです。
壁③:絹巻絶縁
日本は世界最高水準の養蚕・製糸技術を持っていました。
絹を作る技術はある。
でも、直径0.25mmの極細銅線に均一な厚みで絹糸を巻き付ける工業用高速巻線・被覆機械は、ゼロからの開発です。
「材料はあるけど加工する機械がない」
現場でたまにある「部品はあるけど工具がない」の明治版です🔧
ここで歴史的な対比を1つ。
欧米では、1831年にジョセフ・ヘンリーが1マイルの銅線で通信実験を行い、1838年にモールスが実用化し、1865年にモールス符号が国際標準になっています。
数十年かけて冶金も伸線も絶縁も、1つずつ技術を積み上げてきた。
日本はその完成品を、一気に受け入れたわけです。
冶金も伸線も絶縁も、全部同時にキャッチアップしなきゃいけなかった。
明治の技術者、よくやったな……としか言えないです。
後の田中製造所(現在の東芝の源流の一つ)などが、この三重苦と正面から格闘して国産化を進めていきました。
そして現代PLCへ:ラダー図に明治が残ってる
ここからは駆け足で、リレーからPLCへの系譜を辿ります。
1900年代前半。
電話交換機と工場自動化の波で、リレーが大量に導入されます。
電信局のリレーが、工場の制御盤に大移動した時代です。
1920〜30年代。
リレーシーケンス制御が体系化され、ラダー図の原型が成立します。
「この条件が揃ったらこのコイルをON」を、はしご状の図面で書く方法です。
そしてここからが転換点。
1968年、GM(ゼネラルモーターズ)が「リレー盤を電子機器に置き換えたい」という白書を発表します。
車の生産ラインの仕様変更のたびに、リレーの配線を物理的にやり直すのが限界に達していた。
仕様変更=配線やり直し=ペンチとドライバーです。しんどい。
1969年、Modicon社(Bedford Associates)のRichard Morleyが、世界初のPLC「Modicon 084」を開発。
「配線を変える代わりに、プログラムを変える」という発想の転換です。
ここで注目してほしいのが、PLCの内部論理です。
PLCのプログラムは今でもラダー図で書かれています。
ラダー図のa接点、b接点。
これ全部、明治のリレーの物理的な接点とコイルを記号化したものです。
PLCは「リレーシーケンスをコンピュータの中に入れた」だけで、原型は150年前から変わっていない。
三菱のGXWorksでラダー書いてるとき、画面に並んでるa接点・b接点・コイルの記号。
あれの元ネタが明治の電信リレーだと思うと、ちょっと見え方変わりませんか?
現場の電気屋が、PLC時代の今でもリレーシーケンスを最初に学ぶ理由がここにあります。
ラダー図を読むには、リレーの動きが分かってないと読めない。
明治の技術が、令和の教科書の1ページ目にまだ生きているんです⚡
おわりに
次に現場で制御盤を開けたとき、カチカチ言ってるリレーをちょっと眺めてみてください。
あいつの先祖は、150年前の電信局にいました。
雨が降ればバネを調整し、温度が変われば磁気ギャップを再較正し、通信の合間にヤスリで接点を磨いてた明治の通信士。
あの人たちが見たら、ワイらの仕事もそんなに変わって見えないかもしれないです。
「カチカチ」の歴史、150年。
リレー先輩、まだまだ現役です🔧
次に読む記事
リレーの現代版、サーマルリレーとブレーカーの違いを整理した記事はこちら👇
👉 サーマルリレーとブレーカーの違い:「容量」と「設定値」を混同すると事故になる
接地の重要性を現場の事故ベースで解説した記事はこちら👇
このブログでは、工場の電気保全の実務に使えるノウハウを発信しています。 Xでも現場ネタをつぶやいてます👉 @itsumimario
noteでは、設備リスクを金額で整理して予算判断に使えるExcelテンプレートも公開中です 📊
https://note.com/mannu_bot



コメント